【第一話】人生で遭遇する窮地や絶望を越えられる"ビジョン"をもっていますか?/全6話

ビジョンがないから、ブレる。
ビジョンがないから、ワクワクを直感だと思い込む。
ビジョンがないから、ジプシーになる。
ビジョンがないから、幸せが遠ざかる。
ビジョンがないから、大切なものを見失う。
そして、
承認欲求を満たすことが目的にすり替わる。
目次
【第四話】ビジョンは実現不可能な崇高な理想から絞る
【第五話】ビジョンは抽象的なことを具体的にする
【第六話】ビジョンはミッションによって浮き彫りになる
【第一話】ビジョンは苦しかった経験に隠されている
21歳のとき、2人でハワイに行った。
行きの飛行機は3列シート。
私たちは、窓際と通路側になった。
ツレは窓際で、私が通路側。
それはジャンケンで決めた。
私は通路側でも嫌な気持ちがしなかった。
なぜなら、帰りは私が窓際と決まっていたから。
「幸せって分け合えるんだな」って思った記憶だけが鮮明に残っている。
その感情は、母がケーキを切ってくれた時、笑いながら大きい方をくれた、幼い日の私に似ていた。
それは、申し訳ないという気持ちとは真逆の、「無条件で大きい方をもらう自分は大切な存在なのだ」と実感した瞬間でもあった。
通路側の席にいる私が、母から大きい方のそれをもらった時の私と同じだというのは、ちょっと矛盾する。
その理由が、飛行機の中で起きた出来事にあった。
行きの飛行機で真ん中の席にいた人は女性だった。
窓際にいるツレは、その人にお願いした。
「私の席と替わってくれませんか?」
私は、自分が真ん中の席だったらどうするか?を漠然と考えていた。
本心から言えば、帰りだけじゃなく、行きも窓際に座りたいという欲深さを持っていた私は、「普通、替わるよな」と思った。
しかし、その女性は「嫌です」と言った。
窓際に座るツレは、私からジャンケンで勝ち取った窓際を、窮屈な真ん中に選び直そうとしている。
その光景を見ている私は、なんとも言えない安心の上に建つ幸福という城にいる気分だった。
「愛されている私」を全身で感じた。
離れていても平気な理由がわかった。
「嫌です」と言った真ん中にいた女性は、絶景ビューが見える窓際より「窮屈な真ん中」にメリットがあった。
というのは、今だから思う私の主観である。
私がその後、孤独を隠すために生きる自分を自覚するまで、時間はかからなかった。
女性がもし孤独な私だったら、私は席を替わっていないかもしれない。
こうして人は、いくら人の役に立ちたいと言っても、それは自分が今幸せであることが前提にある。
もし、私が、21歳の時の自分に戻って、あの時と同じ飛行機に乗り、同じことを体験できるなら、私は真ん中の女性に話しかけるだろう。
連絡先を交換できるくらいの仲になることを目標にするだろう。
飛行時間10時間の中で、ディスタンス(運命)を変えるだろう。
あの時の私は、窓際のツレしか見えていなかった。
でも、確かに、真ん中で一人座る女性がいた。
それは、まさに未来の自分の姿であるという警告だったことを、私は20年後に気づくことになる。
死んだ父に言われたことを思い出す。
人のふり見て我がふり直せ
旅は道連れ世は情け
あの時出来なかったことで、今ならできることがある。
あなたはなんだろう?
それは誰かの役に立たないだろうか?
ビジョンとは、つらかった時の自分をどうやって幸せにするか?
もしくは、どうやって幸せにしてきたか?
自分と同じつらい経験をしている人にできることがある。
ビジョンとは、そのできるようになったプロセスの中にも隠れている。
悲惨にもビジョンがなかった私は、愛されない自分を承認で満たす人生へと堕天していった。
母から大きい方を無条件でもらった時の、「私は大切な存在である」ということを見失ったがために、私は絶望を経験することになる。
ヤマモトマユミ