言葉じゃなくてそれを言った人が嫌いだから傷つくのです

一年ぶりに来た生まれた町

大阪阿倍野で私は

ある会社の顧問に会った。


S氏とは初対面だったが、

稲盛哲学を学んだ者同士、

共通の話題ですぐに盛り上がった。


私は稲盛哲学で、

信頼は人格がわかり

人間性は人望がわかる

ことを体得した。


例えば、私は子供がいないが、

女は子供を生んだ方がいいと

S氏に言われたとき、


私は一切嫌悪感なく、

できたらそのほうがいいと

答えた。


このカラクリは簡単で、

ピアノが弾けない自分を

認めている人が、

弾けないことを指摘されても、

腹が立たないのと同じである。


つまり「ない」自分は

ダメな自分だと思っていると、

誰かにないと指摘されると

心にブレーキがかかる。


ブスもおばはんも

年齢も薄毛も同じである。

自分が気にしていることを指摘されると、

嫌悪感でブレーキがかかるのだ。


私の生まれた町・ヤマモトマユミ

私は自分の資料を開示した。

そのとき、今どき紙は

見る人がいないと言われた。


しかしこれも私は、

嫌悪感が一切なかった。


私は普段から大人の付き合いが

できないことで知られている。


だから紙資料を否定されたとき、

嫌悪感がない自分は本音で

S氏と向き合えていると思った。


次におもしろいことが起きた。

S氏が自社関連の資料を

紙で見せてきたのだ。


そしてスケジュール表は、

手帳でも携帯でもなく、

壁に掛けてあるような

カレンダーのバラだった。


私になぜ嫌悪感がなかったか?

なぜS氏を理解できたのか?


その答えが稲盛哲学の

「信頼は人格がわかる」である。


この場合の信頼とは、

S氏が私を、を指す。


初対面で信頼されたのは、

S氏に私を紹介した人が、

S氏から信頼されているからだ。

集合的無意識の恩恵である。


成功とは99%の信頼と、

たった1%の行動である。


何を学ぶかではなく、

それを誰から学ぶかで

人生は大きく変わる。


#阿倍野 #何を言われたかではなくそれを誰に言われたか