山本真弓の「幸せの選択」

まずは、好奇心から「気になる」ものを見つけると、今気にしているそれは頭から離れます。さぁ、次の5つならどれが気になる?

誰かにとって特別な存在になりたい

自分らしい生き方、働き方を模索している

努力しているのに望む結果に結びつかない

あなたが本当に行きたいところにお連れします

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自分に棲みつく3人の自分をあぶり出せ


相手を傷つける言葉に傷つきたくないのは自分だったよ


自分には少なくとも3人の自分がいると言われます。


①本来の姿

持って生まれてきた気質

もともと備わっている特徴



②セルフイメージ

私はこんな人と思っている部分


明るい⇔暗い

活発⇔おとなしい

おしゃべり⇔無口

社交的⇔内向的

個性的⇔類型的



とかとか...、自分を鏡で見た時、その鏡に映る自分が、鏡を見ている自分にどんな印象を持っているのかということ。



印象や態度、特徴が外から見える言葉は他にも無数にあるんですが、その中で自分は「これだな」と思うものが、セルフイメージです。



③周囲からそう思われている自分

あなたってこうよね、と思われている部分



男性と女性、自分より若い(もしくは上の)世代と同世代、仲のいい人と知り合い、職場の人と家族、異性友達と配偶者(恋人)、自分の父(母親)と自分の息子(娘)等々、同じ属性(セグメント)の中にいる距離感が違う人たちに複数聞くのが一番よくわかります。


この3人の自分が一貫してたら、すごく生きるのが楽しいし、楽しいということは、行動が望む結果を出しやすいということでもあります。

目次


セルフイメージと周囲のイメージが違う場合


本来の自分とは違うセフルイメージと周囲のイメージが同じ場合


他人を意識する本当の目的



セルフイメージと周囲のイメージが違う場合



セルフイメージと、周囲の自分に対するイメージが違うと、本来の自分とセルフイメージは一致してても、本来の自分と周囲の自分に対するイメージが一致することは稀です。



セルフイメージが本来の自分と乖離しているということは、「自分は何者なのか?」が的確に把握できていないということです。



たとえば、「できない私を周囲はできると思っている」とします。



この場合、あなたのできないことが周囲に伝わっていないんじゃなくて、できないと思っている自分は、やればできると思ってるんじゃないの?ということを問われているんですね。



「ノー」と言えない人は、特にこの傾向が強いです。


だからって自分でやってしまうと、周囲は当然できると思います。


この解決策は、できるできないで比べないことです。



誰が良いか悪いか、誰が正しいか間違いか、誰ができるかできないか、という人と比べる自分をやめることです。



甘えたい自分が素直な本来の自分とかってよくあることです。



本当は甘えたいのに、それが出来ない、出せないというのは、周囲は当然、助けてあげたいとは思ってもらえないです。



むしろ、できる人に思われている裏にある、本当の自分が見えていることは多いんだけど、言わなくてもわかってほしいというのは、自分を出せた後で、絆が太くなった後じゃないかな。



本来の自分とは違うセルフイメージと周囲のイメージが同じ場合



たとえば、周囲から我慢強いと言われ続けた自分は我慢強いと思い込んでいる人は、持って生まれた気質からくる忍耐力でもなければ、我慢強いとジャッジされる前にあったはずの「辛抱強い自分」でもありません。



私が人を「痛い」と感じるのは、この「本来の自分じゃない自分を、本来の自分だと思い込んでいる時」です。



今回、我慢強いという性質を例えにしたけど、本来の自分が仮に「粘り強さ」なら、それは忍耐力でもなければ、辛抱強いわけでも、ましてや我慢強さとは全然違うんです。



粘り強さというのは、「持久力」です。



辛抱することや、耐えることや、我慢することでは手に入らない力です。



息が長いっていうのは、続ける力のことだし、耐久というのは、衝撃に耐える度合いのことだし、対比するものがまったく違います。



辛抱というのは、目標を達成するためにやらないことへの意思の強さだし、我慢というのは、自分を抑え込むことです。



ややこしいのでまとめると、「持久力」というのは、行動する動作を指すけど、辛抱も耐久も自分から行動しないことを指しています。



飲み会に誘われても断るとか、上からの強い圧力に動じないとか、そういうのって、誘うのも圧力をかけるのも自分じゃなくて、外から働きかけられる行為ですよね。



「あなたは我慢強い人ね」と言われ続けた自分を「私は我慢強い人だ」と思い込んでいるなら、我慢強くなることで、欲しいものを今手に出来ているか?を振り返ると、すぐに答えが出ると思うのです。



自分は我慢強いからこそ、それが手に入ったと言える「それ」が明確にわかるなら、我慢強い自分は本来の自分なのだと思います。



だけど、我慢強い人の多くは、欲しいものを我慢しているという事実は否定できません。



だからもう一度、これを機に、欲しいもののために我慢していることはないか?を考えてみてほしいのです。



我慢しても欲しいものが手に入っていないとしたら、我慢強い自分を演じているということになります。演じなければならなくなった、周囲の誰かの影響が大きいということです。



他人を意識する本当の目的


今回の例はいずれにしても、行動しないというのは、持って生まれた資源「持久力」を発揮できない宝の持ち腐れ状態なわけです。



宝の持ち腐れの多くは、抑え込まれものが鬱屈している状態なので、溜まっているものが出てくると、できない理由が発生したり、始めたものが続かなかったり、モヤモヤが溜まってスッキリしなかったり、対人トラブルも含め、なんせ楽しくないと思うことが増えます。



それが結果として顔や態度に出ます。


不機嫌そうとか、笑わないとか、周囲が気を使う自分になっていきます。やりがいとか、アイデンティティも見失っていくので、当たり前のことにも感謝しにくくなっていきます。



自分の立ち位置を確認するためにも、他者からどう見られているのかを意識することは大事です。意識しすぎるのは良くないけど、人に見られていると思うからこそ、清潔でいようとか、笑顔でいようとか思えるわけですから有用なんですよ。


協調性を「相手に調子を合わせること」を言うなら、社交性は自分を出すということです。



束の間一緒に過ごすなら相手に合わせること。

近い未来も一緒にいたいなら本気を伝えること。

ずっと一緒にいたいなら自分に嘘をつかないこと。



そこまでやってダメなら後悔しないことのほうが多い。



人を見るのは、あくまでも自分を確認するためであること。


決して他者の目に縛られてしまうのではなくてね。




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