山本真弓の「幸せの選択」

まずは、好奇心から「気になる」ものを見つけると、今気にしているそれは頭から離れます。さぁ、次の5つならどれが気になる?

誰かにとって特別な存在になりたい

自分らしい生き方、働き方を模索している

努力しているのに望む結果に結びつかない

あなたが本当に行きたいところにお連れします

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優先度より重要度が大事だと心底思った"後回しにされる理由"


別れなければ出会えなかった・やめなければ見つからなかった・大切なもの
後回しにされるって、自分が何かを後回しにしているからだよ


時間に追われる人って、大事なものを後回しにする傾向が強い。


その反対も同じで、時間を持て余す人もそう。



両者の共通点は、やりたいことをしていないということです。



後者は、やりたいことがない(と思っている)から、やりたいことをしていない、ということになります。



で、大事なものを後回しにするとどうなるかというと、失うんです。


すごくありきたりな言い方しかできないけど、いつも失ってから大事だったこと気づく。



人って。



じゃ、それはもう取戻せないのか?っていえば、取り戻せます。



あの時、できていたはずのことを今やればいいです。



失ったものが大事だったということは、大事なものが何かわかったということだからね。



私が後回しにされ続けた理由



それは、私が優先してきた人は、私にとって重要ではなかったからです。



最初はわからなかった。


というか気づけませんでした。



私は夜中に仕事をすることが多いんだけど、夜中でもLINEで相談が来たりすると、仕事の手を止めてでもその人に時間を使ってきました。



当然、仕事は後手になるんだけど、特に支障があるわけでもなく、マルチプレイヤーの私にとっては臨むところだった。



でも、いつも繰り返す自分の癖が、あることで腑に落ちた。



そのあることが、「優先した人から後回しにされる」というパターン。



お願いしたことも、提出物も、入金も、ことごとく、期日を守ってもらえないことが数年続きました。



私は最初、「自分は相手にとって都合のいい人なのかもしれない」と思ったんだけど、違った。



後回しにする側(相手)にとって私は、重要な存在だったとわかるのは、私も重要な存在を後回しにして、その人のことを優先していたからです。



その人と別れてから、私は自分の昔を思い出していました。



私を重要だと思ってて、かつ、後回しにしない人って誰?って。



それは、私のお願いや、期日を守ってくれるとかそういう行為じゃなかった。


私を一番にしてほしいということでもなかった。



それは、同志だった。



私は、「目指すものが同じだ」と思う人は、全員リスペクトしている。


でも、価値観は違ったりする。


趣味も好みも違ったりする。


でも、私にできないことが当たり前のようにできたりする。


「リスペクト」できるものって実は他でもすごく重要だったりする。



「何が」ではなく、「誰が」が、自分の人生で大事だからね。



で、その人たちと私の間にあるものは「ホウレンソウ」でした。



大事なことはいつも単純なことだと言うけど、頭の良さとか、何かが優れているとか、そういう次元じゃないところに「一番大切なもの」はあったんだよね。



私はそこに気づいて以来、後回しにされることはなくなりました。



それは私が大事なものは何かに気づいたから。


私にとって一番大切なものは、一体感なので、同じゴールに向ってプロセスを一緒に歩く同志が一番大事だった。


それは、別れた人たちから私を見ても同じだと思う。


その人にはその人の目指すゴールがあって、私とは違うだけの話なのだ。



別れた人たちにある意外な共通点



見たくない過去さえフタをしていたら、居心地いいんです、過去っていう場所は。



その居心地の良さと引き換えに得るものは、未来で過去を繰り返すということ。


怖くないけど苦しい体験を繰り返します。


たとえば、自由を求めながら、誰かの管理下にい続けるとか。



孔子の言葉で言えば、「30にして立つ」が40になっても立たなくていいような環境にい続けるとか。



立つのが怖いから苦しいほうを選んでるということですね。



そして、ここではないどこか?を探し続けます。


それから、私が優先した人たちには共通点が2つあった。



私が別れた人たちは今、みんな仲がいいんだよね。



私がその人と仲が良かった時、その人と仲違えをした人とその人はいつの間にか再縁してて、仲良くなってる。



親友かどうかは知らないけど、仲がいいっていう定義も人それぞれだから一概に言えないけど、友達は友達なんだよね。



私が別れたその人たちは、過去、私が優先度高で接してきた人たちばかりだった、ということが1点。


私が優先度高で接した人たちのセグメントに共通するもうひとつは、「父親」に対する未完了な体験を持っているということでした。



不思議なんだけど、8~9年前から遡ってみても、全員が「父親」というキーワードをもっていた。


「いた」という過去形より、「いる」という現在進行形が正しいと思う。



なぜなら、彼ら彼女らと別れたということを類友の法則で言えば、唯一私と彼ら彼女らをつないでくれていた「未完了」が役目を終えたということだからです。



そう思ったのは、私が父に対する未完了な体験を完了した後、その人との別れがやってきたからです。



人間の行動で共通することは、過去とつながっていると、自分は未来に進んでると思ってても、未完了だった過去に留まり続けます。



思いって、体(頭)に遅れてついてくるからね。



「自分探し」のループにはまるんです。



誰でもベクトルが変わると自然に別れるような出来事が起きるんですね。



新しい自分に出会うために「別れ」はあると、私は思っています。



あるコーチングの先生が自分の過去を振り返る時、こう言われていました。


過去に出会ってきた方々の私に吐く「言葉」が、私に色々なフィードバックをしてくださったので今の私があります。

・・・と。



相手が吐く言葉って、実は自分も誰かにそう思ってることが多いけど、それは、その相手であることもしかり、言いたくても言えない違う誰かであることもしかり。



目の前の人の言葉に耳を澄ませると、自分のことが本当によく見えてきます。



こうして、優先度より重要度で選ぶと「幸せの選択」はできているという証です。



あなたも選ぶものを間違えていたら、是非、選び直すという選択を。



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