失敗を恐れる人へ、やる前に結果を知る方法


追い込まれた時、人は「本気」になる
もう後がない状況の時、人は偉業を成し遂げる

目次


 

「それなり」という逃げ道



どれだけ素晴らしい情報でも、どれだけ研究され尽くした情報でも、受け取り手の「受け取る覚悟」がないことで、以前よりむしろ成功しづらい時代に入ったと思います。



人間の弱さっていうのは、だいたい共通してて、それなりにうまくいくと、そこで留まろうとする人のほうが圧倒的に多いんじゃない?って思います。



わざわざ今ままでの経験と関係ないことを、ゼロからやろうという勇気って、なくても困らない。



それなりに食べれいけるし、それなりに自由だし、それなりに成果出してるし、いいじゃん、と。



結局、この「それなり」っていうのが、成長を止めてしまうわけです。



別に無理して成長しなくていいと思ってるんです、意識ではなね。


 

怖いから苦しい選択をする


ある人が「ビジネスは遊びじゃないのよ」って誰かに言われた時、嫌な気持ちになったって言われてました。



私はそれを聞いて、「まさしくそうだよな」って思った。



士業という職業だったその人に、「現場を見学させてほしい」と言ったら、「うまくなってから」と言われたからです。



「えっー?」って思った。



うまくないのに先生と名乗ってお金取ってるの?って思った。



でも、うまいかどうかじゃなくて、実績の数の少なさから自信が引き出せていないんじゃないか?と思ったけど。



その実績も多分出てるんだろうけど、数値化できていないから、実感とか手応えが根拠で見えない。



てことは、この人が避けていることは、「計算」だと思ったの。



だったら、毎日、家計簿みたいに「今日は何人」とか集計する習慣をつけたらいいだけじゃない?



もうひとりは、財務諸表(財布の中身)関連の提出を求めた途端、離脱されていった。



理由は、「資金がないから」



これはどちらも、怖さから来ています。



「本当の自分を見られる怖さ」が、「それなり」を選んじゃう原因です。



人間が一番恐れているのは、自己重要感を損ねることだから、怖さより苦しみを選ぶわけです。



自己重要感を損ねる怖さで守りに入ると、「嫌な気持ちこそが、それ以上を求めながら、それなりを選んでる」ってことに気づけません。



いや、気づいてるとしたら、見て見ぬ振りしてるってことです。



楽でいるために避けていることが怖いんですよ。



惨めな自分を見られてしまう恐怖を持つのは、人は恥をかくことを最も恐れるからです。



倒産する社長さんの多くがこの恐怖があったという統計も、中小企業庁が発表しています。



もっと早くに打ち明けてくれていたら救えた企業は多いそうですよ。



保身は、開示することを受け入れられない恐さが、「破壊」という結果になるんですね。


 

嫌悪感は自分が放置している未解決な問題を指している



嫌悪感って、出来事に限らず、人によらず、自分の中にある未解決な問題を教えてくれる感情です。



確かに、上を見たらキリがない。



だから、自分のゴールは自分で決めていいんだけど、決めたゴールより上に向かっている人と比べて嫌いになるのは間違いです。



上を目指したい自分と、留まろうとする自分が統合していないからこそ湧き上がるのが嫌悪感だって自分で気づかないと、ずっと矛盾したまま生きることになります。



この矛盾が、「更に問題が大きくなった嫌な出来事」を招来していく。



アクセルを踏みながらブレーキ踏んでたら、圧がかかるのは自分だから不快なことは起きて当然です。


 

本気になる



「本気」がない限り、ステージは変わらないので、お尻に火がついた状態では、本気にはなりにくい。



その場から逃げたら、火を避けられるからです。



人間は追い込まれて、逃げ道がなくなった時はじめて「オリャー!」ってなる。



その「オリャー!」が、正真正銘の「マジ(本気)」っていう感情です。



じゃ、本気を出すにはどうしたらいいか?



「明日死ぬ」っていう状況が必要なんですね。



たとえば、「これをやってうまくいくか、廃業するか」っていう、白と黒しかない状況にならないと、動けない人のほうが多い。


 

追い込まれない人が消えていく



追い込まれる状況になれる人って、むっちゃ恵まれています。


動いている証拠だから、「助けて!」って叫べば、不思議と助かる状況が用意される。



が、問題なのは、追い込まれない人。



士業のその人は結局、今でも負け組の中で「勝ち組」を演じて生きています。



ここでいう「負け組」とは、いい人のフリ、できたフリをする世界を指します。



自分より下(情報弱者)が集まってきて、その人達にとって憧れの存在になるとか、先生と呼ばれるとか、勝ち組にいる気分(?)を味わうので、当然、「それなり」の世界からは抜けれません。



否定する人がいない世界って、だいたいそうです。



イエスマンばかり周囲にいる人って、裸の王様って言われているし、怖い世界と苦しい世界は、世界が違うんです。



それなりに幸せな世界は、怖くない世界です。



追い込まれる人っていうのは、行動してるからこそそうなるわけでしょ?


 

人は頑張る人を応援したくなる



逃げ続けている以上、追い込まれる怖さはありません。



勝ち組にいる幸せな人を助けたいなんていう人いるのかな?



逃げてる人は、それなりの幸せを選んでるわけだから、人からは幸せそうに見えますよ。



いい時計に、いい車に、いい家に、いい旦那さんの中でそれなりに幸せな人を助けたいって言う人いますか?



人が人を応援したいとか、助けてあげたいって思うのは、お金持ちとか、いいものを持ってるとかではなく、それに甘んじることなく、何かに向かって汗を流してる姿が見えるかどうかです。



もし、どうしても達成したい目標があるなら、「それなり」の世界から抜け出す「怖さ」を越えないといけません。



あなたは自分の夢や目標に対して「本気」でしょうか?



それとも、「やってる気になってるだけ」でしょうか?



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YAMAMOTO ism
YAMAMOTO ism

人を選ぶ基準とは、束の間一緒に過ごすなら相手に合わせること。近い未来も一緒にいたいなら本気を伝えること。ずっと一緒にいたいなら自分に嘘をつかないこと。そこまでやってダメなら後悔しないよ。

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承認欲求の三重苦
承認欲求の三重苦

最後は相手の不幸を望むようになる承認欲求は、常に人の幸せに左右される人生になるので、当然、主は相手だから、優のあなたは、劣の私を助けて当たり前。善のあなたは、悪の私を許して当たり前。それが叶わない時、承認欲求は、相手の不幸を望むようになります。

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自己防御
自己防御

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