諦められないときに、あることを諦めたらうまくいく




CDの音が悪いと怒る人に、

私は曲が出来た時代を聞いてみたら、

アナログ時代にできた曲だった。


だから私はスタッフにお願いして、

レコードとプレーヤーを頼んで、

怒るその人に聞いてもらったら、

一発OK、というオチだった。



つまり分析力とは、

思考の分解力のことを指します。



この思考力の原石をもったある新人に、

上司がプレゼンをさせたら、

上司の部下の一人に反応がなかった。


プレゼンはビジネスモデルを

三匹の子豚に例えた資料だったが、


無反応な理由は実はどうでもよくて、

その子がその人を

どう思ったかが重要なのである。



人は簡単なことを難しく言うことで

賢く思われたい人が多い。


私は、それだけ伝えた。



鎧を着ていると、

賢いと思われる自分を

諦められないのである。



鎧はいつも

自分をいい人に見せてくれる。




こうして「あきらめる」

という言葉が世界にはあるが、



しようと思っていたことが

別の用事でできなくなったとか、

やってもうまくいかなかったとか、

やったけど続かなかったとか。


日常でいえばこんなところだ。



想像していたことが

不可能だと知り、

その「望み」を捨てること。


それを一般的に

「あきらめ」というとすると、


それらとは違う

また違った別の意味が

仏教の「あきらめる」にはある。





それが「明らかにする」

ということです。



なぜそれができなかったのかを

明らかにする。



あきらめるとは、

それを納得した上で

断念するという意味です。



自分の「良い悪い」も含めて、

自分自身を明らかにすること。



自分をしっかり知ることで、

人は初めて本当の努力ができるので、

報われる努力のために諦めるのです。



腹が立つとか怒りというのは、

あきらめられないから湧く感情であり、

バカにされたら当然持つべき感情です。


その悔しさがバネになるのは、

あきらめることができるからです。



私は漢検1級をもちながら、

今小6の漢字ドリルが必要で、

そろばん4級の頭しかなくても、

分析力は4打席3安打を誇ります。



つまり、

あきらめる=自分を知る

ということになります。



昔は、自分の書いたものに

『つまらん!』『愛がない!』

と言われ、何度も書き直し、

悔しくて、その度に号泣しました。


でも、これが身の丈なのです。



うまく言おうとするから、

あきらめられなかったんです。


うまく言おうとするというのが、

つまり「鎧」です。



いい人に見られたいから

書いている自分に気づきました。


当然、心を動かすものは

一向に書けるはずもありません。



自分の大きさが痛みと一緒に

少しずつ分かるようになったとき、

小6レベルで4打席3安打になりました。



何かを伝える手段に書くことがあり、

それは相手を理解することで、

書くスキルなどいらなかったのです。



自分を知らないときは、

自分はもっとできると

過信してしまうのが

人間というものです。



だからできない自分を

飾ろうとするのです。


そういう自分を経験して

オトナになってゆきます。


私はそこに気づいて自分の大きさに

やっと向き合えるようになったとき、

鎧は重いことを知りました。



自分を下に見るのを

諦めなさい。


人は、意識したことしか

起こらないから。



関連記事

諦めるとは、身の丈をしることです



ヤマモト マユミ