自分の居場所

文句や小言を言われても、

どんなにぶつかっても、

自分をまるごと

引き受けてくれた空気は

居心地が良いものである。


生まれ育ったからとか、

景色が美しいとか、

長く住んだからなどの

情報や事柄に関係なく、


自分を肯定してくれる

人たちとともに過ごせば、

そこが居場所になる。


たとえば親しい人と

料理や酒を酌み交わすとき、

ああここは私の居場所の一つだと

実感する。


空間ではない。

いうなれば、空気だ。


何を言っても気負いなく

自然体の自分でいられる。


そういう空気によって

醸成された場所が居場所になる。


若い頃は親の顔色を見て

自分の行動を決めていた。


何がしたいかより、

どの顔色で何をしたらいいか


自宅なのに

他人の家にいる感覚は

顔色を見るのが必死で

麻痺していった。



しかし亡くなった祖母が

流れを変えてくれたのだ。


いいカッコしいだった私は、

次のデートで服を買うお金を

祖母に借りに行った。


お父ちゃんには内緒やで。

そう約束したのに祖母は、

私が自宅に着くまでに

母に電話でチクっていたのだw


帰るやいなや父に呼ばれた。


怒っている様子もなく、

このお金を返してこい。

そう父は言った。


私は一瞬でも祖母を恨んだ。

だけどその感情は次の瞬間、

父の一言ですぐに消えた。


気を使わせたな。

不自由な思いさせてごめんな。


あのときは涙もでなかったが、

今振り返るたび目が潤む。


気を使うことが嫌なのではなく、

気を使っている私に

気づいてほしかったのだ。


あの日、父の顔色を見る癖は

洞察力や観察力として、

今の私の仕事に活きている。


誰かに取られる前に、

好きだと言えるようになり、

ほしいと言えるようになった。


すべて怖かった父の顔色で

身についたスキルである。


その父とも

ずいぶんぶつかりあったが、

今では私の考えや言うことを

肯定する意図で、

意見をくれたり叱咤する

器のデカイ男になった。


結局、どこに意識が向いているかで

言う前に結果はわかるものである。


自分が正しいことを証明するためなら、

相手を責めるだけになる。


教育とはそうじゃない。


#エッセイ #居場所 #間違いを正すのか自分が正しいことを証明するのかで関係性は変わる