長年同化していた思考や感情に感謝とお別れを、ね。




「人はあまりにも当たり前のように、自分自身と自分自身への思考と感情を同化してしまっているね」



ある人とカフェでそんな話になりました。



この結論に至った経緯は、その女性のプライベートにかかわるので、私の話で例えると・・・・。




私は物心ついた頃から「私はダメな子なんだ」と思っていました。




そう思う(思考)に至った理由は色々あります。



一番大きかったのは、



「余計なことをせんでええねん」



とか、



「いらんことしい」



とか、



「言われたことだけやってたらええねん」



と、よく言われていました。



よく言われていた、ということは、私は何回か同じことをやっていたわけですね。



で、言われ続けて心が折れてしまった。



ということです。



だからずっと残り続けているんですね。



記憶の片隅に。



言われたことより、やり遂げられなかった後悔が残っていたんです。




「それ、やめたほうがいいよ」とか、やりたいことをしてはいけないという記録も脳内に残っていました。



実際に、そういう人は、どの時代にもいました。



友達であれ、上司、同僚、後輩、先輩であれ。



そして、何をしない子になりました。



40代付近は、ダラダラした生活が続きました。




そういった人たちはいつも不機嫌で、何で怒り出すか、どこに地雷があるのか、私には全くわからない存在でした。



今思えば、それは単なる「私よりで突き出るな」というのがわかるのですが、幼稚園に行くか行かないかぐらいの子供にはそういう概念は全くないわけです。



ですから、私は他人が言うとおり、「私がダメで悪い子だから、前に出たらいけなんだ」ということが「私の出身地は大阪市です」なみの当たり前さで、自分の中にずっと在ったのです。



というか、今でもそう思っている部分があります。



という事を、カフェで話したのです。



で。



現実的に、客観的に、私自身を表現する場合、大阪市出身も含めて、経歴、職歴、交友関係、性格、得手不得手など、まぁ、色々あるわけです。




で、これらはアタマでは理解出来ているし、何かの紙にキチンと(?)書き出せるものです。



が、アタマではなく、心で抱いている私自身へのイメージは、「私はダメで悪い子なんだ」が根強くあるわけです。



で、このイメージを自覚していてもいなくても、このイメージに囚われてしまい、そんな自分に自己嫌悪していたり、そういう部分を隠そうとやっきになったり。



と、まぁ、色々シンドイことがあるのです。



心の奥深いところで、このイメージを持ち続けているので、当たり前だと思っていることすら、気付けない状態だったりするのですね。




だから、



なんでいつもシンドイねんやろう。



うまくいかへんねやろ。



と思いながら、生きているわけです。



とは言っても、



昔に比べれば、相当気付いて手放し、楽になってるんですよ。



10年前と今の私は、明らかに違います。




ただ、私が経験してきたことと似たような、ともすれば、全く同じような経験をしている人が多いということに、私は自分が乗り越えてから気づいたわけです。



結論から言うと、乗り越えたと言うよりも、「イチヌケタ」をしたと言ったほうが正確かもしれません。




私は10年前と性格も変わっていないし、自己嫌悪はあるし、自己肯定感も低いままです。



その自分を「ヤメタ」というのは、「それがなに?」と言えるようになったということです。



それ、やめたほうがいいよ、と不機嫌に言われたら、



「それが?」



それ、やったらあかんのんちゃう?と顎を上げながら言われたら、



「だから?」



と言えるようになったということです。



これ、一見すると、前よりひどい女になったように見える人もいるのでしょうが、これで何が言いたいかと言うと、「あなたに迷惑かけていないよね」ということです。




それが言えない状況であっても、



「じゃ、あなたの場合は?」と質問ができるようになりました。




私が決めたことは私の責任なので、不機嫌に意見されようが、顎を上げて否定されようが、そういう人たちに関係ないということです。




これができるようになったのは、本当に私のことを思って叱ってくれる人は、具体的にどうしたらいいかアドバイスをくれたり、代替え案をくれたり、手伝ってくれたりすることがわかったからです。



つまり、口だけで言う人は、態度に魂胆が見えるんですよ。



ですが、それも、あなたと私では感じ方が違います。



だから、自分で選ぶんです。




私の場合は、私の不幸を願う人達に共通している態度が、不機嫌だったり、顎が上がっている人ばかりだったということです。



軽くあしらわれるとか、軽口とか、とにかく態度に出るんですよ。


ありがとうっていう言葉も、適当かどうかはわかるじゃないですか。



こういうのは、自分をダメだと思ってるから、そういう態度の人に出会うということです。




で、気付いたのであれば、それはもう辞められるのです。



だから、「イチヌケタ」ということですね。



だって私は、自分のことを「ダメな私」と思い続けたくないからです。



でも、この低いイメージのお陰で得てきたものも沢山あるのです。



周囲が不機嫌だったり、顎をあげてくれたお陰で、私はその人たち居る間、相手の一挙手一投足を、全てを差し置いて探っていたのです。



ですから、知らぬ間に私には観察眼と分析力が身に付いたようなのです。



これ、私には幼少の頃からの振る舞いなので、当たり前すぎて何の価値も見出せなかったのですが、実はスゴイらしい、ということを、今の仕事をはじめた頃、「強みの分析」の作業で知りました。



いや、もちろん、私以上の観察眼と分析力を持った方たちを私は何人も知ってるし、今でもそういう尊敬できる人の教えを受けています。



ただ、私のような経験がなかった方と比べれば、出来ているらしい、という事です。




で、これが諸々と、役に立っているし、私の良き面として存在しているおかげで、開発や企画で人が見逃してる「かゆいところに手が届く」ものを思いつけるんですね。




ですから、低いイメージがもたらした「苦しみ」に別れを、「効用」に感謝をしようね。



というのが、長年、同化していた思考や感情に感謝とお別れをしよう。



というタイトルに至ったのです。



低いイメージであっても、そのイメージも自分自身なわけです。




ですから「お前なんか、あっち行け!」という扱いをしてしまっては、昔人からされたことを再度、今、自分で自分にしてしまうことになります。




それが、【第二話】の「ビジョンは絶望の中で具現化される」で書いた、「人は無意識に自分がされた嫌なことを人にしてしまっている」というところにつながっています。



関連記事:【第二話】ビジョンは絶望の中で具現化される




ですから、感謝をしつつお別れを、ね。



ヤマモトマユミ




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