【意の思考】嫌いと苦手の違いで説く「人は必要なときに必要な人に出会う」本当の理由


人は必要なときに必要な人に出会う
People run into the people they run into not by chance but because they were meant to meet.

人は必要なときに必要な人にしか出会いません。


ソウルメイトとか、運命の出会いとか、言い方はいろいろあるけど、私は今まで本物のスピリチュアルというものに出会ったことがないので、ここでは、論理的に、科学的に、出会いは必然であることを説いていきます。


 

目次

 

嫌いの反対は無関心


「愛の反対は無関心」というのは、仏教や聖書などでよく聞きますね。


だから「嫌い」の反対も、「好き」ではなく、「無関心」ということ。


無関心とは、気にならない、どうでもいい、興味がない、ということ。


つまり「意識」がそこに向いていない状態を「無関心」といいます。



で、紛らわしい言葉として、「好きじゃない」があります。


「好きじゃない」は、興味がないということ。


嫌いになることで大切なことは、


なぜ自分は嫌いという気持ちが芽生えたのか。


その嫌いという気持ちは自分の中のどこから来たのか。


を、答えが出るまで考えること。


出来る限り、古い昔を思い出すこと。


思い出せた時、目の前にいる「嫌い」のせいじゃないことがわかります。



「嫌い」になるのは、昔、自分がやろうと思えば出来たことを(言おうと思えば言えたことを)放置している無念さの投影です。


 

苦手の反対は得意


苦手というのは、「嫌いではない」というのが前提にあります。


それが「嫌い」との大きな違いです。


嫌いは、否定、拒否、拒絶として態度に出るものです。


苦手は、それらがありません。


仮に、苦手で避けているなら、それは「嫌い」だということです。


苦手というのは、負い目を感じたり、尻込みしたり、怖気づいたりしているだけで、見ることや、そこにいることは嫌いじゃないのです。



私であれば、お酒は弱いんですが、酒の席は嫌いじゃありません。


次の章で出てくる「納豆を嫌いにさせた出来事」で言えば、納豆を嫌いにさせた未完了な原体験(トラウマ)を完了させないといけないのです。


でも、納豆が苦手というのは、単なる「食わず嫌い」とも言えます。



お酒が嫌いなら、お酒を飲む人に暴力をふるわれたとか、自分に「お酒を嫌いにさせた出来事」が意識に残り続けているということです。


そういうのがトラウマですね。



ですが、お酒が苦手なら、お酒アレルギーがあるとか、自分の中にある「やらなくていい理由」にしているものを指します。


つまり、


苦手意識は、簡単に言い訳にできるものばかりです。


下手だから、難しいから等、「でも、どうせ、だって」という3Dが、言葉にでてくるものたちのほとんどが、嫌いというより苦手なものですよ。



どうせ無理だし、だって下手だし、でもわからないし・・・・とかね。



これも必要な克服なら、克服できるまで出会い続けます。


克服しなくていいもので、できないものはいっぱいありますからね。


私ならピアノを弾くことは、克服しなくていいものになります。


英語はやったほうがいいなーと思いながら尻込みしています。


逆の人もいるんです。要は価値観の違いで、克服しなくてもいい「できないもの」は、それが出来る人に出会いますから、「やってもらう」ことで克服したことになります。


その相手は、往々にして、あなたができても、その人にできないものを持っています。


いわゆる「補完」の関係ですね。


ウィンウィンにつながる関係の人です。



ですから、「苦手」は、2つの解決策があります。

​1つは、それが得意な人にやってもらう

​もう1つは、自分で挑戦する


早く結果がほしい時、そして、同士や仲間がほしいなら、得意な人にやってもらうと合理的だし、自分よりうまいのでリスクが減ります。


また、「苦手」の中には、自分にしか克服できないこともあります。


昔、家族全員が「乗り物酔いする」という人がいました。


その人は、何度恋愛しても、長く続かないという悩みがありました。



いつも「結婚」の話が出てきたあたりから、別れるようなことが起きる特徴がありました。


もったいないですよね。



結婚しないメリットはなに?って聞いたら、「引っ越しや新婚旅行なんかで乗り物に乗らなくてもいいこと」



結婚するメリットはなに?と聞いたら、家族を持つ、支え合う、協力し合う、育て合う、一緒にお墓に入る等、いっぱいでてきました。



彼女の無意識が、結婚することより、しないメリットを選んだのは、「乗り物酔いをするのは体質で治せない」という諦めからでした。


なので、体質改善の目標を立ててコーチングしていったら、半年で乗り物に酔わなくなりました。



これは単なる一例ですが、苦手意識の克服は、無意識が「そんな苦労をしてまでやろうとは思わない」と思っていたりするんですね。


だから彼女も、「そんな苦労してまで乗り物酔いを治すくらいなら、結婚なんてしなくていい」というセルフイメージがあったわけです。



違う言い方をしたら、


好きな人のために乗り物酔いを克服するより、自分が楽をするために(変化しなくていいために)結婚しないほうがいい、と思っている。

結婚するよりしないほうが、めんどくさいことをしなくていい。


という本音が最後にでてきました。



何を選択するかは、人によって違うけど、


幸せというのは、


「安全地帯の向こう側の怖れを越えた先にある幸せが、自己実現をともなう幸せである」ということ。

それは、人間に共通しているということです。


 

人間は必要なものしか出会わない



出会いは「必要なものしか出会わない」という原理原則があります。


「興味がないものには出会わない」ということなんだけど、正確に言えば、「興味がないものは、出会っていても気づかない」ということです。



ある有名な心理学の実験で、


被験者に「ボールだけ見ていてください」とお願いした時、ボールの前をゴリラが横切っても誰も気づかなった、という結果があります。



こうして人は、自分が意識するもの以外、出会っていても気づけません。


つまり、ゴリラに気づけない自分は、ゴリラに出会っていないのです。


で、この実験結果から、さらに仮説を立ててみます。



仮に、実験の後、被験者の中で「ゴリラを初めて見た」という事が起きたとします。


でも、あの実験でゴリラがいたのは事実です。


仮説の推論から、「人は、未経験なものには出会わない」と言えます。



たとえば、仕事を選ぶ時、「未経験歓迎」という言葉に、「受けてみよう」と思う人はいます。


それも、実は遠い昔、どこかでその仕事を「見聞きした体験」があるから、受けてみたいという感情が起きたということです。



体験は、見聞きしたこと。


経験は、見聞きしたことに対して、自分が取った行動の結果です。



たとえば、「クリエイター募集・未経験歓迎」とあったとします。


この時、「クリエイター」という言葉は、誰もが一度くらい見たことがあると思うんですね。


クリエイターという言葉を見ただけなら、それは経験ではなく体験です。



実際応募して、採用されて入社した場合、クリエイターという仕事をした結果が、その人の「クリエイター経験」になるわけです。



ゴリラを見たという体験を覚えていなくても、後に、実際ゴリラに出会って、餌をあげるとか、なにがしの行動を起こした時、その人の中に「ゴリラに餌をあげた経験」が残るわけです。



体験したことは忘れていても、人は未経験なことには出会わないという原則でいうなら、「行動しない人は、体験しか出来ない」わけです。



だから、


「出会い」というのは、あなたが何かを経験する必要があるから、それに出会うのです。



まとめると、


「嫌いに出会う」というのは、あなたにとって、その嫌いな対象を通して、何かを経験する必要があるから出会ったということです。


では、「嫌い」に出会って何を経験しろというのか?


「嫌いを見ないことを経験しなさい」ということです。


逆説で言えば、「好きを見なさい」ということ。


それは、嫌いな相手の好きな部分を見なさいということも含まれますし、あなたが本当に必要とする好きなものを見なさいということです。


端的に言えば、「嫌い」に意識が向いているから出会うわけです。



嫌いなものを避けても、その嫌いなものは姿を変えて、またあなたの前に表れます。


たとえば、納豆が嫌いだから食べなくても、好きになった人が納豆好きで、毎朝食べる習慣があるとか、結局、納豆が嫌いという意識がある以上、納豆は出来事や状態を変えて、ずっと出会い続けるということです。



嫌いという感情は、


「私を嫌いにさせた気が済んでいないことがある」ということを知らせる潜在意識からのメッセージです。


納豆が嫌いなのではなくて、納豆を嫌いにさせた原体験に、いいイメージがないために、納豆を見ると、その原体験を(無意識が)思い出すから、納豆が嫌いだということです。



もう一度言うと、人は必要なことしかは出会わないという原則がある。


だから、嫌いに出会うのは、自分の中に「それを嫌いにさせた理由がある」ということです。


納豆にとったらいい迷惑なんですね。


これを原則に一貫させると、「それを嫌いにさせた未完了な原体験を完了させるために人は、嫌いという感情を引き起こす何かに出会う」



ある人は、幼い頃、母親が電車の中で奇声を出す発達障害の子を見て、「頭の変な人と付き合っちゃダメよ」と言われた原体験がありました。


その人は、大人になっても電車の中で奇声を出す人によく出会い、そのたびに車両を変えていたそうです。


いわゆる、自分から逃げるという行動(逃避)です。



その記憶をたよりに掘り起こしていくと、奇声にモヤモヤし続けていたことは、実は、奇声を出す人に対してじゃなくて、自分の母親に対してのモヤモヤだったということがわかりました。



私は、「