現実を理想に一致させると夢は現実に変わる


上からでも下からでもなく、同じ目線でいること。

私が30代の前半の頃は、誰かとじっくり話したあと、よく落ち込んだものだ。


なぜあんな事を言ってしまったんだろう、傷つけたのではないか、等々。


反省の種は次々生まれ、尽きない。


次第に、自分に嫌気が差す要因は自慢にあると気づいてきた。


どうしてこんなにくよくよするのか、さらに掘り下げて考えみる。


それは、私自身が他人の自慢が嫌いだからだ。



30代の後半は、定年男性との飲み会恐怖症だった。


会社員時代の手柄話をされると、「すごいですね」「そんなに?」「さすが」の三つの相槌しか打てない。


過去ではなく、今を聞きたい。


また、成功ではなく失敗から学んだことを聞きたいと、内心毒づく。


毒づいて「ハッ」とわかった。


このおじさんは、昔私が落ち込んだ理由を見せてくれているのだ。


私自身が、あれもこれも知っていると威張りたい。


すごいですねと言われたい。


だからあとから恥ずかしくなるし、たまらない自己嫌悪に陥っていたのだ。


このスパイラルの、なんと非生産的なことよ。



では、どうしたらいいんだろう。


悶々と考え続ける。


40代になると、この逆説が習慣にできるようになった。


「嫌い」の逆説が、「好き」であるならば、逆に私が惹かれる素敵な人はどんな人だろうか。


手柄をひけらかさず、知ったかぶりをせず、控えめで、じつは秘めた力を持っている人である。


そのとき、本だったと思うが、どうしたら現実と理想を一致させたらいいのかがわかった。


私自身が、手柄をひけらかさず、知ったかぶりをせず、控えめで、じつは秘めた力を持っている人であれば、現実と理想はぴったり一致する。



真に他から認められるような実力は、わざわざ自分からインフォメーションしなくても自然に伝わり、評価される。


本には確かそう書いてあったと思うが、まさにそれを体験したのが、50代になるときだった。


自慢で人の関心をひきつけても、相手は内心、辟易としているかもしれない、今ならよくわかる。



しかし、ダメな癖はそう簡単に直らない。


知らぬ間に前の自分に戻るのは普通のことだ。


だからそういうときは、失敗を胸に刻む。


そうするだけで、繰り返すことがなくなる。



“自慢されて嫌”、“この人は苦手”、で終わっていた感情を流さず、


「何が自分をそう思わせるのか」を胸に刻むのだ。



失敗も同じである。


「何が自分をそうさせたのか、本当は何が欲しかったのか」を胸に刻むのだ。


私の場合はだいた、「ダメな私に気づいてほしい」ということだった。



もう隠すのがしんどくなってきたからだ。



そうすると、気持ちの伴わない謝罪はなくなり、指摘がありがたく思えるようになった。



50代に突入した私は今、定年男性たちの方から話を聞かせてほしいと言われるまでになった。



そして、飲み会も楽しいものに変わった。



理想の人に出会いたいなら、自分がまずその理想の人になることだ。



ヤマモト マユミ