疑念と疑問は結果がまったく違う




疑念ならやらない。


疑問なら探求し続ける。



同じ「疑」でも、歩く方向が全く違います。



言葉を定義するって、何を始めるのにも、最初にしないと意味はありません。



「意の思考」が定まっていないと、疑うことはよくないと思ってたりする。



だけどそうじゃない。



「疑い」をたとえば、「人を疑ってしまう」ということにフォーカスしていうと、確かに世の中には、本当に信用出来ない人や、集団もある。


だけど、日常生活で感じる不信感のほとんどは、つまるところ、実は、自分自身への不信感です。



自分の力を信頼出来なかったり、自信がなかったりするのです。



しかし、人間だれもが新しいステップに進んだり、未知の世界へ足を踏み入れれば、必ずと言っていいほどこの不信感は出てきます。



必須項目と言ってもいいぐらいです。



ですから、この不信感を足止めに使うのではなく、やると決めたことへの道中にあるマイルストーン扱いすればいいね。



そして、その不信感を抱えながらも、ひとまず出来そうなことを何かしら見つけて、それを実行してゆきます。



「何かをする」と決めることは、自分との約束です。



自分との約束は、それを守った分だけ、自分への信頼が増して自信へとつながります。



自信がないと人を疑うことが増えるのは、うまくいかないことを望んでいるからです。



自信がついたら出来ることが増えるから、できないままのほうが楽でいられるの。



でも、好きなことをしていいというのは、好きなことだけしてたらいいという意味はではないよ。



山本真弓



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YAMAMOTO ism
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人を選ぶ基準とは、束の間一緒に過ごすなら相手に合わせること。近い未来も一緒にいたいなら本気を伝えること。ずっと一緒にいたいなら自分に嘘をつかないこと。そこまでやってダメなら後悔しないよ。

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承認欲求の三重苦
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最後は相手の不幸を望むようになる承認欲求は、常に人の幸せに左右される人生になるので、当然、主は相手だから、優のあなたは、劣の私を助けて当たり前。善のあなたは、悪の私を許して当たり前。それが叶わない時、承認欲求は、相手の不幸を望むようになります。

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自己防御
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