戦わないと勝てないなら、それは負けだということです

ミツビシ(商事)の寮を訪ねると、面白い光景を見ることができます。
駐車場にあるホンダや日産は普通。
イオンの社員がヨーカ堂に買い物に行く感じ。
たとえばミツビシ自工の社員が日産の車に乗っているとしたら?
あなたはその社員からミツビシを買う?
それとも日産を買う?
(あなた車買う?)
寮の食堂には、キリンビールが出てくる機械があって、ボタンを押すとアサヒスーパードライがでてきます。
チキンラーメンこそ商事の独占から始まったけど、資生堂、ライオン、ニコン、コニカ、ローソン、ユニクロ、ケンタッキー、ドトール、そしてあの独立系通信会社の老舗も、商事や物産や住商の合併で始まった会社です。
価値共創(Co-Creation)
じゃ、ミツビシの親はだれ?
越後屋呉服店を作った三井さん。
三井さんが分離して三菱と住友が生まれました。
越後屋が三越百貨店だというのは有名で、まんじゅうの箱に百両隠すセリフも有名。
越後屋、お主もワルよの~♪
ブランディングでわけると、「人の三井」「組織の三菱」というのも有名。
外から来た優秀な人材が活躍した三井と、新卒採用を財閥本社で一括し、各社に振り分けた三菱は、人か組織かの違い。
だから、キリンビールの機械からアサヒスーパードライが出てくる。
・・・のではありません(ややこしい)
ミツビシの岩崎さんといえば、龍馬の海援隊で経理を担当していました。
ド貧乏の龍馬がどうして高額な武器を仕入れ、薩長に売りつけることができたのか?
グラバーさんというスポンサーがついたからです。
岩崎さんは、竜馬が暗殺されたあと、海援隊と同じやり方の「九十九商会」を作りました。
それがのちの三菱商事です。
オランダに行った人ならわかるけど、東京駅はアムステルダム駅のコピー(模写)です。
大阪で始まった三菱商事の本社は丸の内。
丸の内は、家康の外交交渉員だったオランダ人の家があり、そこに住み込みしていたのがグラバーさんです。
経験は歴史を繰り返す
キリンビールは、ミツビシのビール部門の分離ではなく、グラバーの子息が長崎につくった事業で、ミツビシと同じ志で苦楽をともに歩きました。
ミツビシブランドは、家電、自動車以外、消費者が手に取る商品は原則使われずにきました。
帝国ホテルをつくった大倉さんの長男がつくったのは「ホテルオークラ」だし、結局、外部の目を入れないと、裸の王様になるのです。
という事情を知っている人になら解る「キリンビールからアサヒが出てくる理由」は、お客様の喜ぶ顔が、マーケティングの本質だからです。
マーケティングを取り入れた世界初は、外国じゃなくて日本の三越。
それをあの日ミツビシが思い出せていたら、不祥事だって防げたかもしれない。
外注より共創は、透明性も増して、新しい価値が無限に広がります。
まとめ
私は、この歴史を知った時、「仁」という言葉が思い浮かびました。
「仁」とは、他人を思いやるやさしさのことで、心が強く、忍耐と決断力があり、素朴と沈黙を兼ね備える様。
ドラッガーの「インティグリティ」を目指す私にふさわしい日本語が、「仁」でした。
この日から私のミッションになりました。
「戦わないで勝つ」ために、その他大勢(コモディティ)に別れを告げる。
迎合や同調圧力に屈しない。
誰かの悪者になって得たものは、大事な人が誰かわかったことでした。