実家のマンションは、雑草を摘む人がいなかったので、父は管理会社に不満を漏らしました。


私は父に草むしりを提案し、父は除草剤を私に提案、お互い選んだ手段が違いました。


私は、草むしりの目的は、雑草をなくすためではなく、良い土をつくるためだと言いました。父は、娘かわいさもあってか、私に譲歩しました。


3カ月後、近所の人が草むしりを手伝い始め、父は話し友達が増えました。雑草がなくなった土に、花を植えた人がいる反対側には、花の木にイモ虫が付いて気持ち悪いと言う人もいます。


私はその人に蝶々の話しをしました。


蝶になると知らない人間は、イモ虫のまま退化します。


イモ虫が蝶になることを辞退する。


これを人間に置き換えると、「天命を辞退し、夢を諦め死んでいく」ということです。


いずれ蝶になると知っている人さえ、蝶になることがどういうことかわかる人は少ないのです。


知っていてもわからない事を「摂理」というならば、それは実際にやってみなければわからないということです。


それゆえ、蛾になるか、アゲハ蝶になるかは、イモ虫を見た人間にはわからないのです。



蛾になるかアゲハ蝶になるかは、イモ虫を見た人間にはわからない


花や木の周りにトンボも集まりだした時、私は管理会社に緑化の企画書を提出しました。


約1年後、管理会社の社長が作業服姿に軍手とスコップを持って表れました。


こういった流れを因果といいますが、管理費を払っているからと、管理会社に不満を持つのは、お金を払えば救われるという「依存」なのです。


誰かに自分を幸せにしてもらおうとするのは、「お金を出せば叶う」と思っているのも同じです。


その考え方ではいずれ『奪われた』という被害者意識に変わり、当然因果は、子孫まで反映します。いわゆる「三つ子の魂百まで」なのです。


身近な例では、美容院なども同じです。どんなに綺麗にしてもらっても、自宅でのセルフケアに間違いがあれば、払ったお金は無駄になるのです。


美容師の提案をどこまで実行できるかが、美しさを持続する秘訣なのです。


アゲハ蝶は、何もしないでアゲハ蝶になれたのではありません。


#できない理由のほとんどはやりたくないという潜在意識 #依存 #自分を誰かに幸せにしてもらうことは不可能