【承認欲求の三重苦】承認欲求が人生のメインテーマ→増える後悔→人の不幸を願う私

承認欲求は誰にでもあるし、ない人はいないんじゃないか?というくらい少ないです。
で、承認欲求は、自分は承認されていると納得出来た時点で、もうコレ以上必要ないと思うパターンと、承認欲求だけ肥大化するパターンに分岐していきます。
肥大化というのは、
承認欲求を満たすことが人生のメインテーマになってしまってる人
ですね。
ということで、今日は、肥大化するパターンにフォーカスしてみます。
承認欲求が人生のメインテーマになると、「認めてほしいモンスター」になります。
人に認めてほしいという割に、たとえば、彼氏一人に認めてほしいか?といえば、実はそうじゃなくて、彼氏の友だちとか、彼氏の上司とか、彼氏の周囲まで認めてほしくなって、今度は、その人たちの知り合いや親友、親戚・・・と際限なく広がっていき、しまいには、日本中に認めてもらおうとする言動をとるようになります。
その他大勢、マジョリティ、コモディティ人材ですね。
目次
後悔の正体
「あきらめたらおしまい」というのは簡単ですが、どのみち人間は、本当にほしいものは、あきらめてもあきらめきれません。
それが「後悔」の正体です。
で、過去には戻れないので、こうしたかった、ああしたかったことを今やれば、後悔してるそれは、束の間、噴霧します。
だけど、これじゃない、こんはずじゃなかった、となる人がいます。
そういう人は、こうしてほしかった、ああしてほしかったということを、仮に誰かにしてもらえたとしても、「もっと」を望むようになります。
ということは、したかったことも、してほしかったことも、本当にしたいことや、してほしいことは、他にあるということなんです。
だって、それじゃないって言ってるから。
つまり、「なぜ、それをやりたかったの?」と、「なぜ、それがほしかったの?」
という、
WHYの答えが間違っている
から、
こうじゃない、そうじゃない、あれじゃない、これじゃない、という結果になるんです。
で、出来事の多くは人が登場するので、突き詰めると、
あなたじゃない!
という結果になって、その人を嫌いになる。
そりゃそうです。
それをしたいとか、してほしかったとかという対象は過去にいるので、今、目の前にいる人ではないからです。
①したいこと、してほしいことは、本当にしたいことでも、してほしいこともでない |
②してほしい人を間違っている |
そして、後悔するわけです。
でも、この場合の「後悔」は、行動した結果だから、やらない後悔よりまだ救いがあります。
その救いが、承認欲求を消すという手段です。
やらない後悔は、やる以外救いようがないので割愛します。
承認欲求は無意識に条件付きの幸せを求める
で、承認欲求をメインテーマに生きてる人は、WHYの答えを先にだすことが要求されます。
どうしてそれをやりたかったの?
どうしてそれをしてほしかったの?
という、「どうして?」の部分は、人によっていろいろだと思うんです。
ですが、共通している答えが一つあります。
それが、
認めてほしかった
というものです。
承認されたかったということです。
ほとんどの場合、承認されたいと思った最初は、幼少期です。
「私は承認されなかった」と思って生きてる人はとても多いです。
その「なかったもの」こそ、
自分に欠乏しているもの
になります。
その欠乏という穴ボコに、承認される自分を片っ端から放り込んでいく行動をさせるのが、承認欲求なんですね。
思考は、認められない自分に焦点を当てているので、当然、行動は、「認められる自分」になるように活動していきます。
つまり、
何かをするときの目的が、常に「承認されるため」になってしまっている
ということです。
ありのままの自分じゃ承認されないから、彼がいたら、可愛い子が彼女だったら、自分が医者だったら、社長だったら、セラピーだったら、カウンセラーだったら、先生だったら、整形したら・・・と、人や何かを自分に引っ付けないと承認されないと思うわけです。
自分という存在に、何か(人、モノ、カネ等)を付けないと生きていけない人は、その「何か」を、欠乏という穴に放りこんでいくだけなので、うまく行かない
自分という存在に何かを引っ付けることは、条件付きの愛です。
愛される私では承認されなかったから、○○に愛される私なら承認してもらえると思い込む行為です。
愛されている私。
贅沢している私。
人気のある私。
美人の私。
で、これは実現することは最高にいいんです。
問題は、その自分を他人に承認されないと価値がないと思うことです。
特に、「美人の私」なんて、長く続かないでしょ?
みんな老人になるんだから。
○○は、人によっていろいろだけど、どれも本願からみたら、断捨離に値するもの(捨てるもの)ばかりです。
世間では、承認欲求のことを「生ゴミ」とも言われます。
逆に、承認欲求を満たすことを目的にしてうまく行った例えもあります。
たとえば、片親で育った芸能人で成功している人は多いです。
承認欲求がもう満たされたわけですね。
つまり、人は満たされた状態でなければ、その先にある本当にほしいものはつかめないんです。
承認欲求が人生のメインテーマになると、周囲から自分がどう見えるか?を軸に考えるので、自分に答えがない人がほとんどなんですね。
知っていることを言いたがるのも同じです。
教えたいのではなくて、教えている自分が誰かに承認されたいだけだから、相手のためじゃないんです。
だから受け流すだけになって成長しないんです。
見掛け倒しという話なんだけど。
知ってることと、それができるかどうかは、また別の話ですよ。
見せるために頑張っているから、見えるところしか頑張れなくなる。
中身が伴わないから、続かないんです。
中身を入れるより、外見で「できるように思われたい」ということです。
で、ブランディングで、それも大事なんですが、実際できないなら、潮が引くように人は去っていきます。
だから、受け流しという知恵が湧くんですね。
知ってることをベラベラ言っとけば、出来るように見えるから。
頑張れる状態というのは、人が見ていない時も含まれますからね。
承認欲求を消す方法
これは、私の経験則ですが、自分のことを誰も知らないところに身を置くと、承認されない状態が作れます。
そこで、一人で楽しめることをやってみることをしてみてください。
誰に見せなくても、誰に見られなくても、自分だけで幸せを感じることができたら、その土地で出会う見ず知らずの他人とか、商店街のおばちゃんとかと仲良くなった時、むちゃくちゃ満たされた自分を感じることができると思います。
その満たされた状態で、1人より2人がいい、2人より10人がいい、10人より100人いたらもっといい、という成長欲求からの欲が生まれてきます。
成長欲求レベルにある欲は、承認欲求レベルの欲と違い、相手からどう見えるかという自分が消えています。
ブランド物を買うことが贅沢なのではなくて、それをもつ目的が承認欲求なら、見せるために頑張っているということです。
だから何かが滞り始めるのね。
ほしい理由が間違ってるから、二頭を追うものは一頭も得ずになる。
本来なら、「一石二鳥」になるはずだったことが、です。
もうひとつ、これは「因果」を使った手段になります。
自分がしてもらいたかったことをしてあげる。
これは、承認欲求を消去するには最強です。
でも、なかなか出来ない人が多い。
なぜなら、承認欲求の奥にある損得感情がブレーキを踏ませるからです。
後、人と比べるのも承認欲求のせいなので、過去の自分と比べること。
そうすると、人と比べる必要がなくなります。
完璧を求めるのも承認欲求の特徴なので、完璧主義を改善主義に変える努力は、すべての承認欲求者に必要です。
1日1個、何かを改善するルーチンワークで主体的になっていきます。
最後。
人が欲しがるものより、自分に必要なものを買う。
まとめ
人間には少なからず承認欲求はあります。
だから人間らしいと言えるんだけど、今日は、過度になると後悔を繰り返すという話をしました。