本当の説明責任とは

数年前だったけど、 私はサッチャーさんを書いた。


政治の話じゃなくて、 先進大国初の女首相で、 「鉄の女」と言われた人の 本当は鉄じゃなかった かわいい素顔を書いた。


彼女の功績はなんといっても、 今も世界中に伝播(でんぱ)する 新自由主義政策を生んだ人。


だから良くも悪くも 創造性に富んだ政権の母であり、 鉄の女なんかじゃないよ。


彼女が広めた言葉で有名なのが アカウンタビリティー

ある先生が日本語にしたのが 「説明責任」です。


そう、説明責任って 元からあった日本語じゃない。


個人や組織から与えられた職務を きちんと履行していることを、 上位者の求めに応じて いつでも説明できる状態。


上位者は個人や組織を評価し、 制裁や報賞を与える存在だから、 この状態には緊張感が伴う。


絶対評価と相対評価なんか 経営者が決めることで、 入る前に選べるのはあなたです。

自由主義ってそういうことよ。



本質っていうのは、相手になにもなくても好きかどうか?の部分

さて、本題。


この「説明責任」っていうのは、 本来の概念である サッチャーさんが取り入れた アカウンタビリティーとは違う。


サッチャー政権は、 経営や会計学で用いられていた 本来の概念を行政組織に適用した。


そして実現するため、 行政組織の各単位の職務を確定し、 職務の履行ぶりが数字で示される システムの構築を図った。


経営者出身の環境相が、 経営の世界から政権に持ち込み、 言葉の目新しさも含めて 話題になったのが アカウンタビリティー。


では、本来の説明責任とは?


神の前で言えないようなことは 自分の人生の中で、 さまざまな決断のときにしないこと という意味になります。


企業や学校では、 常に自らの業務について 説明責任性が求められます。


だけど単純に考えて まず、素の自分に戻って欲しいの。


名前や年齢を隠したり 職業を盛って誇張想像させたりするのは 匿名性や個人情報から見ても正解だし 自由だからいいんだけど、

隠す理由を神の前で言えないなら 発言は効力を持たないということ。


この原則は、 説明できないことはしないという 行動の基準や倫理性を生み出します。


あなたがリーダーなら、 人があなたにつくカリスマ性は、 能力ではなく、これです。


#神様の前で言えないことはしないこと #自分の胸に手を当てて落ち着くならそれは言っていいことだよ