やりたいことをしてもほしいものがつかめない人へ

継続力がない、何かを結果まで見届けられない、実行力がない人というのは、そもそも「今やっていることが本当にやりたいことじゃないから」というのが非常に多い。
習ったあと、さらに深めようとしないとか、ひとつのことが長く続かないのは他にやりたいことができてしまうからという人も、本当にやりたいことがなにかわかっていない人が多い。
でも、人生のごく初期にあった「ほんとにやりたかったこと」の正体がわかると、やりたいことへの欲が出てくる。
人生に対して何かを求めて行く、ということが出来るようになる。
ここで誤解を招かないように補足するなら、過去にやりたかったことを、これからしなくてはいけない、というわけではなく、もちろん、今やっていることが本当にやりたいことである場合もあるけど、そこにフォーカスするのではなく、「やりたい」という欲を取り戻すことが大切、ということ。
じゃ、継続力がない他に、やりたいことはあるけど、なかなか達成できない、叶えられない、という人はどうだろうか?
やる気が起きない、辞めたくなる、縁がなかなかつながらない、成長しあえる人と出会えない、結婚したいけどできない、等々。
これはだいたい「やりたいことがなにかわからない属性」に入ります。
ある洋裁が好きな人が洋裁店を始めたのだけど、お客様が増えないのです。
現実はすべて正しいというとらえ方が大事なので、この場合も「増えなくて正解」と捉えます。
なので、今やっていることが好きかどうか、という見極めが最初に重要です。
今していることを嫌々やってるなら、それをしている限り、やりたいことはできないのは当然ですね。
だからまず、やめてしまってください。
次に、今していることが好きなら、なぜ好きになったのか?
好きになった理由を掘り下げていく作業が必要です。
なぜそれをしたいの?
使ってもらえたらうれしい。
なぜ嬉しいの?
自分も母に作ってもらって嬉しかったから。
この方は母親の洋裁によって提供された幸福感を求めて、自らも洋裁店をやったのです。
正しいことを間違った動機でやる
というのは、こういうことです。
欲しかったのは母からの愛情、それを再度(ここ、重要!)得るための手段として、洋裁店オーナーになることを目指ているんだけど、洋裁店オーナーになること=母からの愛情とは違うのですよ。
なので、欲しいものを得るための手段として洋裁をやっても、洋裁を仕事にすることでは成功しないのです。
欠乏している何かを埋めるための手段として、好きなことを仕事にして収入を得るということは果たされないのです。
過去に欲しかったものは、欲しかった人から与えてもらうことは出来ません。
だから、「欲しかったものの正体=穴ぼこ」がはっきりすればいいんです。
「ああ、私にはこれが必要だったんだ。じゃあ、私と同じようにそれを必要としている人のために私は何かを提供するということをやっていきたい」と納得する(腑に落とす)ことが一番重要です。
人が集まってくれるのは、自分と同じことを求めている人ですからね。
こういう類友というのは、目的地を変えることなく、新たな意欲をもって進んでいけます。
確かに実際は、こんなにシンプルにはいきません。
いろんな要素がからみあって、欠落しているところにあったものの正体がなかなか見えないことが多いですし、図式にそうバリエーションがあるわけではないですからね。
重要なことは、欠乏しているものは何か?を特定する作業です。
ヤマモトマユミ