詩音倶楽部 パーソナルコース:第1場

自分から連絡しちゃえばいいのに

迷惑かもって思うからできなくて。

​いつまで期待しながら待っているんだろう?

ひとり相撲が避けているもの

って、この画像の通り。全部自分の想像で決めつけていくのが「ひとり相撲」

 

好きな人が出来にくい人は、”自分の理想の相手像”を把握していないから、自分の想像で相手を見ている、それが「ひとり相撲」

 

その人たちに「好きなタイプは?」って聞くと、「自分が好きになった人」っていう人が多い。

 

そんな似た価値観をもった「属性」をここでは「世界」ということにする。「属性」は、ビジネス界では「セグメント」というけど、ライフスタイルが似ている人の集まり。化粧水に3000円使う人と1万円使う人だと、属性は同じ「美しさを求める人」になるけど、服なのか、ネイルなのか、ヘアなのか、ジュエリーなのか、はたまた化粧品なのか、重きを置く価値の基準が違う。

のちにやっていく「世界観を作る」ところで、この「世界=属性」は必要になる。世界観が明確じゃないと、ここまで戻ってやり直す必然性(停滞からの破壊)が起きる__。

昔、「君の理想になれなくてごめんね」と言われて振られた生徒さんも、世界観がぼやけていたから「ひとり相撲」という問題を繰り返していた。当時もらったメールから見えることは、すべて自分の中のフィクションだった。

想像です。

想像です。

想像です。

彼女の別れた原因だと思っているもの全てが自分の想像でした。だから想像したとおりのことが起きたのです。彼女の中にあった唯一の事実は、「彼に”理想の彼になれなくてごめん”と言われて振られた」ということのみ。

勝手に想像して勝手に悩んでいる、という状態を見る限りで私が言ったことは、「〇だから△だろう」といった決めつけが多いのではないか?ということだった。

A型だからこうだろう、連絡してこないから連絡嫌いだろう、連絡しなかったから傷つけたんだろう・・・。そして、その想像に基づいて、どうするべきかをまた自分の想像で考え、自分はこうするべきだと想像で決め、前の想像が正解になるように、次の想像を重ね合わせ「自分が想像した答え」に合うように、人の気持ちを自分で決めていく。それはまるで気遣いや思いやりであるかのように、親切心で推し量っているかのように「妄信」という自己に陶酔していくのだ。

いわゆる『恋愛のひとり相撲』の状態なもんだから、私が出した答えは、「大切なことは、自分の想像で決めつけるのをやめる」ということのみだった。 彼女は「やらないことリスト」に書いた。人のことを想像で決めつけていくのが常習化すれば、それは「憶測」に変わる。人の心を自分の都合のいいように脚本する憶測からは相思相愛にはなれない、喝采を浴びるシナリオも作れない。

この「決めつけ」という想像癖は、ビジネスにも影響を及ぼす。「顧客はこんなことに困っているはずだ」と、調べもしないで商品を作って売る。もっと悪いことに、そこまで時間をかけ、頑張って勉強して、一生懸命商品を作るまでに費やしたコストに心が奪われると、「なんとか売らなければ」という焦りが生まれ、そのビジネスに見切りをつけることもできなくなる。

いわゆる、サンクコスト(すでに使ってしまったお金をどのような意思決定をしても回収できない埋没費用)の呪いにかかる。使ったコストがもったいないから、売れもしないビジネスに執着してしまう人が多い事実は、「ひとり相撲をしているうちは、同じ相撲をとる人たちがいる世界から抜け出せないため、愛する人に見つけてもらいにくい」ということなのである。しかし、この状態まで陥ってしまうと、もう人の声に耳を傾ける余裕すらなくなっているもんだから、破壊するまで気づけない人のほうが多い。(私も破壊した一人だが)

ひとり相撲が避けているものは、傷つく自分です。自分の想像と違っていたら傷つくから、相手のことを想像で決めてしまう癖が、愛されない、売れない結果を出すのです。改修した方がいいのはわかっているけど、「もったいない」理由で売り方を習うなら、お客様の快適さを実現することより欲しいものは「お客様のためという名の自分が得する売り方」なのでしょう。

 

これが、サンクコストの呪いです。

そんなに好きな人なら、どうして着てもらえるセーターを編まないの?っていうことです。

それこそ着てもらえないものを作ることで欲しいものがあるのです。

それって何?

好きな人の好きなものを自分が好きになるより、私の好きなものを好きになってくれる人がほしい。だったら着る人は、自分の好きな人じゃなくてもいいのです。

 

だから好きな人は出来にくい。

もはや、「どこの誰が決めたかわからない一般化」を信じてしまうのは、「その他大勢と同じ考えを持つ自分」が安心できるからです。そして、想像は憶測に成長し、憶測は妄信になります。

 

妄信することで一番欲しいものは、好きな人ではなくて、安心なのです。

 

であるならば、好きな人がいないから自分は安心できないと思っていることが、こういった憶測を生んでしまう理由です。だから、安心する手段に好きな人を求めてしまうことが、好きな人が出来にくい問題の本質です。

しかし、好きな人というのは、自分がもしものときにかける保険の代わりではないので、自分が安心を手にするための手段でもありません。こうして、自分が傷つくことから逃げていると、迷惑だから、忙しいかもしれないからといった、相手を気遣う思いやりからであっても言い訳と化すのです。

​断られる怖さってなんでしょうか?

 

その答えこそ、「迷惑かもしれないから、忙しいかもしれないから」という、「思いやり」に見える鎧を着て、振られる怖さから逃げている「見たくない自分」の正体です。

好きな人がいなくても安心できることが、本当に好きな人ができる方法です。

傷つくことから逃げることで得るものは、「I Love You」ではなく、苦しみです。

 

思えば思うほど苦しくなるけれど、怖さはどんどん遠のいてくれるもんだから、苦しむことがやめられないのです。「苦しみが怖さを消している」ということに気付けるか、そこがブレイクスルーする「コンフォートゾーンという安全地帯」を抜け出す分岐点です。

苦しみながら他人を生きて安心を守るか、怖さを越えて自分を生きて安心するかの違いです。

憶測や、それ以前からある「決めつける癖」を捨てる方法は、好きな人は自分を満たすための手段(ツール)ではない、ということをまず理解する必要があります。「好き」と「幸せ」はイコールではない、ということを理解する必要も出てきます。

では、好きな人が出来にくい「自分の好きなタイプは好きになった人」という人は、どうすれば本当に好きな人ができやすいのでしょうか。それは、

理想を書きだすだけではありません。

  • スポーツをやっている

  • 子供が好きき

  • 年収1,000万以上

  • 家事を手伝ってくれる

  • 旅行が好き

  • 犬が好き

  • タバコを吸わない

  • お酒を飲みすぎない

たとえば、こういった「理想像」を無限に書き出す必要があるのはどこでも言ってることですが、書き出したそれを使いこなせないから続かないのです。

 

なぜでしょうか?

 

「思えば叶う」という一般化を信じてしまうからです。

 

しかし、理想は思うだけで実現することはありません。まず、理想を実現するために、自分が描いた理想が現実になるかどうかを確認しなければならない。つまり、理想という仮説を検証する作業が必要です。それこそが、

その理想が実現しないなら、どうなってしまうのか?

 

ということを書き出すことです。

理想は言うな、理想を語れ。

年収1,000万以上が実現しなくても今と変わらないなら理想ではないということです。人に持っている自分を見られたいだけなのかもしれません。いずれにしても理想を書き換えていかない限り、現実になる理想は体現できません。

私の理想は、「寡黙」です。

 

理由は、私の本当の理想が理解者を増やすことだからです。イエスマンじゃなくて、ちゃんと言葉を交換し合う、それも、私の夢を実現するために意見を交換し合う理解者を増やすことが私の理想です。当然、私の夢は相手の夢でもあることが前提でなければなりません。だからこそ、着てもらえるセーターを編んでいるのです。

もっと大きな私の理想は、自分がいる業界をサポートしあえる関係で埋め尽くしていきたいことにあります。これは長くて遠い道のりだとわかっているからこそ、その遠くの目標を見ながら、今自分にできる「理解者を増やす努力」をしています。そのために、私に必要なものは、話を黙って最後まで聞いてくれる存在でした。だから、あれがしたい、これがしたいという理想を言うのをやめて、それをどうしたいのか?という理想を語れるようになったのです。

この理想を具現化してから、私の周囲は、私に話を聞いてほしい人が集まり出しました。これも自然の原理だからでしょう。自分が求めることは相手も同じように求めるのです。誘ってほしいと思うなら、相手も誘ってほしいと思っているという当たり前の法則です。だから私は人の話が聞けるようになりました。聞いた後、断ることもあれば、受けることもあります。断られることもあれば、受けてもらえることもあります。振られる怖さを越えた世界にこれらはあります。

そうやって自分の好きな人がどんどん絞られていくのです。私が寡黙を理想としたのは、多弁の世界で私は、我慢強くなるからです。

 

だから、私は、人の話に自分の話をかぶせる人を選ばなくなりました。そして、私から多弁が消えたとき、私が多弁を外したのではなく、多弁の方からいなくなったことがわかりました。

​類友とはどういうことか、腹に落とせた時でした。

私の理想「寡黙」が実現しないなら、私は押しつぶされてしまう。

だから私の「寡黙という理想」に必然性が生まれたのです。


こうして、理想というのは、叶える前に叶うかどうかを確認できます。現実というのは必然性がないものしか実現しません。想像だけならなおさら夢から覚めることもありません。だから想像なんてものは、実現しないのです。

実現するのは、そうなるように自分が仕向けていくからです。鳴らない電話を待つなら、どんどん別れるように仕向けていくその想像こそ、「憶測」という相手の心を無視した行為になるのです。着てもらえないセーターより、欲しいと言われるセーターを編む方が愛されるということにも気づけるでしょう。不安や焦り、欠乏からの欲求は、自分しか見えないのですから。

理想が実現するかどうか検証するのは、「その理想が実現しないなら、自分はどうなってしまうのか?」ということを無制限に書き出すことです。

それは本当に必要ですか?

すべて書き出した最後、自分にそう聞いてみてあげてください。

 

本当に必要な理想だけが残るだけでなく、身の丈も見えてきます。コタツでお菓子をぼりぼり食べながら、年収1,000万を理想にする自分はいなくなります。